ホーム > 大学別「入試に出た天声人語」 > 子どもたちを見つめ続けた灰谷健次郎さん
筋肉のマヒのため、自宅からスクールバスに乗るまでの200メートルを歩くのに数十分かかる少女がいた。日々大きな苦痛を背負っているとみえた少女には、しかし、朝の楽しみがあったという▼まず喫茶店の前で、店員の女性とあいさつを交わす。言語障害もあるので、周りには「うーうー」としか聞こえないが、女性には「おはよう」と聞こえている。仕出屋の前で最初の休みをとり、猫のクロにもあいさつする▼続いて、まばらに木の生えた所で休み、おしまいの休みは草花の植えてある家の前でとる。マツバボタンにそっと触れて、朝のあいさつは終わる。「少女の朝の数十分の生活を知ったとき、わたしは衝撃を受けました……この少女によって、『子どもが見える』ということの意味を教えられました」。灰谷健次郎さんが「希望への橋――わたしの子ども原論」に書いている(『子どもが生きる』所収・世界思想社)▼小説「兎の眼」や「太陽の子」で知られる灰谷さんが、72歳で亡くなった。神戸で小学校の教師を務めた経験に立ち、学校や大人の社会への厳しい論評を続けた▼「子どもの発する声から人間所在の危機を推察することは十分可能なのに、そうしようとしない教師は自らの人間性を見出せないままでいる、という悲劇まで加わる」(『学校のゆくえ』岩波書店)▼子どもたちを見るだけではなく、見つめなければ「子どもが見える」ことにはならない。現代の家庭や教育の現場を照らす手がかりを、あの少女や命あるものたちとの触れ合いで得たのだろう。