ホーム > 大学別「入試に出た天声人語」 > ベトナムの双生児・ベトさんの人生
「今まで子どもの空に包まれていたものは、じぶんたちの世界の半分にすぎなかったのです」。ドイツの児童文学『ふたりのロッテ』(岩波書店、高橋健二訳)の一節。別れた両親に一人ずつ引き取られた双子が、偶然出会って姉妹だと確信し、親のよりを戻そうとする物語だ▼人種にもよるが、双子は出産100回にほぼ1組とされる。二つの人生はもつれながら次第に離れ、それぞれの終着を迎える。ロッテとルイーゼのように9歳で重なる人生もあれば、7歳で離れるそれもある▼下半身がつながって生まれたベトナムの双生児は、88年の分離手術でベトちゃん「と」ドクちゃんになった。一昨日、兄のベトさんが亡くなった。分離前から脳を患い、26年の生涯はベッドの上だった▼弟のドクさんは右足一本ながら、松葉づえで社会生活を送る。病院で働き、昨年12月には結婚もした。きのう営まれたベトさんの葬儀では「兄が私にくれた人生を精いっぱい生きてゆく」と語った▼ベトナム戦争で、米軍は大量の枯れ葉剤を空中散布した。ゲリラが潜む密林と食料源を根絶やしにするためだ。薬剤には猛毒のダイオキシンが含まれ、生まれ来る「子どもの空」を今も覆っている。ベトさんたちは被害の生き証人だった▼体温と痛みを共有した兄弟も、人生は「等分」とはいかなかった。弟は各国で講演し、枯れ葉剤の非道を訴える。兄は同じことを、病床から無言で発信し続けた。ただ生き延びて、身をもって告発する。余人にできない重い務めを立派に果たした。