ホーム > 大学別「入試に出た天声人語」 > 排気管に消える穀物
健康食品の雑穀や菓子原料に生き残る粟(あわ)は、かつては広く栽培されていた。〈足柄(あしがら)の箱根の山に粟(あは)蒔(ま)きて 実とはなれるを逢(あ)はなくもあやし〉。万葉集の作者不詳歌は、粟は実ったのに君に会えないのはなぜかと、実らぬ恋を嘆いた。「逢はなく」「粟無く」の掛詞(かけことば)がいい▼五穀と称された主要穀物で、今も盛んに作られているのは米、麦、豆の三つ。粟や黍(きび)はすっかり珍しくなった。私たちの食生活は、農業や社会のありようを映して千変万化である▼地球温暖化対策の切り札とされる燃料「バイオエタノール」の生産急増が、世界の食卓を揺さぶり始めた。トウモロコシやサトウキビが燃料生産に回り、飼料と食糧向けが高騰中だ。大豆農家はトウモロコシに乗り換え、大豆で作る食用油や、油が原料のマヨネーズも上がる。オレンジ畑はサトウキビ畑に化け、ジュースも高い。値上げの食物連鎖だ▼作物はより高く売れる方へとなびくから、人の口に入っていたものが車の腹へと消える。だが、人の足を動かしてきた作物でタイヤを回すことが環境や人間に優しいとは、すんなり信じがたい▼新燃料を推すのは、京都議定書を袖にした米大統領だ。改めるべきは燃料より、大型車を手放せない生活習慣にもみえる。メキシコでは、トウモロコシで作る国民食トルティーヤの値上げに抗議デモが起きた。民の台所事情に目配りは欠かせない▼人は古来、飢えないために田畑を耕してきた。穀物を排気管の中で消費する世の中を、五穀豊穣(ほうじょう)の神はどう眺めているだろう。