ホーム > 大学別「入試に出た天声人語」 > 藤尾の死について考える
文学作品の中で、たまに、よくいえば想像力を刺激する、悪くいえば判然としない個所に出くわすことがある▼石川啄木の、この短歌はどうだろう。「今は亡き姉の恋人のおとうととなかよくせしをかなしと思ふ」。死んだのは、さて、だれか。考えれば考えるほど迷う▼先日の小欄で『虞美人草』に触れた。その中で、女主人公の甲野藤尾は「毒を仰いで死ぬ」と書いたら、何人かの読者から「違うのではないか」と手紙がきた▼読者の指摘は「憤死だ」「服毒とは書いてない」「血管が切れたのだ」と様々である。面白い。最後のところをもう一度読んでみた▼「呆然(ぼうぜん)として立つた藤尾の顔は急に筋肉が働かなくなつた。手が硬くなつた。足が硬くなつた。中心を失つた石像の様に椅子を蹴(け)返して、床の上に倒れた」▼右の文章で一つの節が終わる。次の節が始まると「我(が)の女は虚栄の毒を仰いで斃(たお)れた」とある。これらの文章から何をどう想像するか▼いろいろな解説を繰ってみた。この作業が意外に興味深い。「ショック死であるのか、自殺をしたのかははっきりしていない」と解説する人がいる。あいまいな状況を「破局」「破滅」と説明する人もいる。「悶絶(もんぜつ)」「憤死」説もある……▼断定的な自殺説もある。「藤尾は傷つけられた自負心のために自殺する」と書いたのは伊藤整氏だ。「結局すべてを失つて自殺する」(世界文芸大辞典)。「怒りと屈辱で毒を仰いで自害する」(架空人名辞典)▼漱石に詳しい評論家の江藤淳さんにたずねてみた。虚栄の毒は精神を害する、それと、毒を仰ぐという行為とを懸け詞(ことば)で表現したのではないか、懸け詞は初期の漱石の作品の特徴でもあると教えられた。自殺説だ▼初めの部分を改めて読む。何と、クレオパトラが嫉妬(しつと)の炎を燃やす挿話と、その末期を暗示する毒蛇が、すでに登場しているではないか。