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『朝日新聞』06年12月18日付 「社説」より時の外相重光葵(まもる)にとっては、11年ぶりの大舞台だった。
1956年12月18日、米ニューヨークの国際連合本部。77カ国の全会一致によって日本の加盟が承認された。
演壇に立った重光は「日本国民は恒久平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」という憲法前文を読み上げた後、こう語った。「この日本国民の信条は、国連憲章と完全に合致するものであります」
11年前の45年9月、重光は東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリ号で、首席全権として連合軍への降伏文書に調印した。壇上の重光の胸中に、この間の日本の苦渋に満ちた歩みが去来したに違いない。
戦後、日本は新憲法で非武装の理念を掲げて再出発した。国の安全は国連を軸にした集団安全保障体制に委ね、守られる。国連はそんな理想主義を体現する存在として、国民に受け止められていた。
ただ、現実は理想とはほど遠い。敗戦から6年後には日米安全保障条約が結ばれ、日本政府はまずは米国との同盟で国の安全を守る道を歩み出していた。
アジアにおける冷戦は、朝鮮半島やインドシナなどで「熱戦」となり、ソ連や中国との緊張状態が続いた。東西両陣営が対峙(たいじ)する冷戦構造が強まるなかで、国連を舞台にした外交は影が薄くなり、無力に近かった。
現実の前に、理想がかすむ。日本の反核平和運動も、その悲哀を長く味わってきた。
「核兵器の削減を決めるのは米ソ交渉だ。国連本部に通うだけではだめだという失望感があった」。日本原水爆被害者団体協議会の田中熙巳事務局長はこう振り返る。
その冷戦が終わり、国連は再び光を浴びる。イラクがクウェートに侵攻した90年、米ソが協調して安保理決議を通したのがその象徴だろう。
「役に立たない」と揶揄(やゆ)された国連が一転、世界各地の地域紛争の処理をめぐって主役さながらの役割を期待されるようになった。日本が初めて国連平和維持活動(PKO)で自衛隊を派遣したカンボジアもその一つだ。
日本人の活動も目立つようになった。明石康氏や緒方貞子氏らの活躍に引っ張られるように、途上国の貧困やエイズ撲滅、紛争地の支援で汗を流す日本の若者は着実に増えている。
国連ボランティアの採用担当者は「昔は使命感が空回りする人もいたが、今は地に足のついた感じの若者が多い。支援の経験者がほとんどだ」と言う。
日本人が抱く国連のイメージは、理想と失望の間を行ったり来たりしてきた。国連が時代に応じて活動の性格を変えてきた面はあるにせよ、ようやく等身大のものに近づいてきたのかもしれない。
そんな国連で、最も強力な権限を持つ安全保障理事会の常任理事国になりたい。小泉前政権が挑んだ試みは、無残な失敗に終わった。
日本の経済力や国際社会、とりわけアジアにおける存在の大きさを考えれば、安保理で果たせる役割は小さくないはずだ。そう評価してくれる国は多いのに、それを生かせなかったのは日本の戦略にも誤りがあったからだ。
ドイツ、ブラジル、インドとともに常任理入りを目指す「G4案」は米中両国はおろか、アフリカ連合の支持さえ得られなかった。
首相の靖国神社参拝もあって中国、韓国の支援を失う一方、複雑な地域内対立を抱え込むG4案では、初めから成功はおぼつかなかったのではないか。
しかし、時代の要請に合わせて国連をより効率的、効果的な組織に造りかえていく改革は、これからも大きなテーマであり続ける。
グローバル化とともにテロや感染症、地球温暖化など国境を超えた脅威が台頭している。対応を誤れば日本はもちろん、世界中が深刻な事態に立ち至ることになる。北朝鮮やイランの核問題など、核不拡散でも安保理の重要性がいっそう高まっている。
こうした新しい脅威に対する国連の取り組みで、日本は大きな役割を果たす責任がある。それにはやはり安保理の意思決定に継続的に加わることが必要だ。
日本がいることで国連の対応力が高まる分野は多い。核軍縮や不拡散を世界で最も強く主張してきた。「人間の安全保障」を主唱し、貧困対策や民主化支援での評価は高い。紛争後の国に自衛隊を派遣するなど平和構築でも貢献してきた。
最終的には常任理事国を視野に置くとしても、実現は容易ではない。退任するアナン事務総長は中間的な案として、任期4年で再選可能な「準常任理事国」のアイデアを示したことがある。
任期などの条件は別にして、この考え方を政府は追求すべきだ。拒否権なしなら反発は減るだろうし、実現性はあるのではないか。
アナン氏は去るが、安保理改革の機運が消えるわけではない。新しい脅威に対応できる国連に改革していくため、知恵を絞っていきたい。