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現状の「尊厳死」や終末期医療の問題点を押さえながら、終末期医療はどうあるべきかについて自分の考えを述べること。
本人の意思であれば終末期における延命治療は中止してもよいか、尊厳死を法律で認めるべきかなど、終末期医療をめぐる課題は多い。命の尊厳や自己決定権などの視点から考察を深め、終末期医療はどうあるべきかを考えて欲しいクマ。
ポイントは次の2点。
筆者が「終末期医療」はどうあるべきだと考えているかを記事から正確に読み取ろう。
ポイントは以下の通りである。
なお、筆者は「終末期」は一般的に次のようにとらえられていると述べている。
筆者は、実際には知りえない終末期の状態を想像でこのように否定的にとらえるのではなく、患者が亡くなるまでの期間を支え、どんな時も生きられる社会にするべきだと主張していることを押さえるクマ。
まず、終末期医療の現状やその問題点を明確にした上で、終末期医療はどうあるべきかを述べよう。例えば、次のような点を押さえておきたい。
なお、医学部志望者は、医師として(医学を志す者として)、患者の尊厳死をどう考えるかという視点や、最後まで治療を続けるか、延命治療は中止するかという視点から考察する必要があるクマ。
終末期医療のあり方についての筆者の主張に、賛成、または反対(一部反対を含む)の立場から意見を述べることになる。賛成の場合は、終末期医療の具体的な問題点を指摘するなどして、自分なりに論を深める必要がある。反対の場合は、主張のどの部分になぜ反対なのかを明確にして論じよう。
解答例は、筆者の意見に賛成の立場から「終末期においては、医師や家族はできる限り痛みを和らげる治療やケアを行い、患者が最期までその人らしく生きることを支え、安らかな死を迎えるのを見守るべきである。それこそが、医療現場において人間の命の尊厳を守ることである。」という主張だクマ。
苦痛緩和のケアにも限界があり、耐え難い苦痛を伴う場合があることや、自己決定権の視点から、終末期における患者本人の意思を尊重し、尊厳死を認めるべきであるという論が考えられる。現状では安易に延命治療の中止が行われる危険性があり、本人の意思の確認が難しいからこそ、法律できちんとした条件を定義するべきだという主張も可能であろう。ただし、いずれの場合も、本人の意思確認をどのような形で行うかなど、問題を解決する方法を提示する必要があるクマ。
終末期、すなわち「余命いくばくもない」という状況においては、自己決定権の観点から、患者本人の意思が明確であれば、延命治療を中止し「尊厳死」を認めるべきだと考える人が多いと言われている。しかし、単に「本人の意思だから」という理由で安易に治療を中止し、患者の死を認めるのであれば、そこには大きな問題がある。
まず、本人の意思の確認の難しさが挙げられる。終末期における患者については、資料文にもあるように、患者自身の意識がないことも多く、患者が本当に延命治療の中止を望んでいるのか確認できない場合が多い。事前に意思表示があったとしても、あくまでも元気なときの意思であり、筆者が言うように、終末期は「事前には分からない状態」である。実際に終末期になったときの気持ちはそれまでの思いとは異なるかもしれないのである。さらに、本当はまだ生きたいと思っていても、家族の負担を考えて、患者が尊厳死を求める場合も考えられる。
また、生死に関する「自己決定権」という考え方にも疑問がある。人間の命は自分一人のものではない。人間は家族や友人などが相互に支え合って生きている。命は自分のものであると同時に、そうした親しい人と共有しているものではないだろうか。回復の見込みがないからといって、自分で自分の死を決めてよいわけではないだろう。実際に、尊厳死を容認した家族が、患者の死後に後悔の念にさいなまれる場合もあると聞く。
もちろん、患者を苦しめるだけの延命治療をただ続ければよいというのではない。終末期において、医師や家族はできる限り痛みを和らげる治療やケアを行い、患者が最期までその人らしく生きることを支え、安らかな死を迎えるのを見守るべきである。それこそが、医療現場において人間の命の尊厳を守ることであると考える。