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大ヒ熊教授の実力テスト

クマでもわかる!小論文講座 解答と解説

解答作成のツボ

筆者の指摘するカタカナ語の問題点を踏まえて、カタカナ語についての自分の考えを述べること。

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出題のねらい

ねらい

近年、日本語にはカタカナで表記される外来語があふれ、日本語の乱れ、わかりにくくコミュニケーションの障害になる、などの批判がある。カタカナ語が多用される背景や影響などを自分なりに考察し、外来語をどのように扱うべきかを考えて欲しいクマ。

出題者が要求していること

ポイントは次の2点。

(1)資料文を把握する…
筆者が日本語におけるカタカナ語をどのようにとらえているのかを読み取る。
(2)自分の意見を述べる…
筆者の指摘するカタカナ語の問題点を踏まえ、カタカナ語について自分の考えを述べる。

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解答までの考え方

記事の論点をつかもう

筆者がカタカナ語をどのようにとらえているかを読み取ることがポイントになる。「そもそも文章の意味を測りかねることも少なくない」「日本で義務教育を受けた人間の間のコミュニケーションにビッグなオブスタクルをつくりだす」「誰にも即座にわかる話を、わざわざカタカナ語を多用してわかりにくくする」「日本語で言えることを借用語で表現して話をわかりにくくして」「コミュニケーションの手段としてきわめて不便なカタカナ語」「カタカナ語はカッコがよいのではない。英語の強制が生みだす挫折のはけ口であり……」などの表現に着目しよう。

  • 日本語で喋ったり、書いたりすれば、誰にも即座にわかることを、わざわざカタカナ語を多用してわかりにくくしている。カタカナ語は日本語のコミュニケーションを阻害する。
  • カタカナ語はカッコがよいのではなく、英語の強制が生みだす挫折のはけ口である。自国民相互のコミュニケーションの障害や、感性の質の低下を招くものである。

なお、筆者は日本語で言えることをわざわざカタカナ語にすることを批判しているのであって、もともと日本語にない概念を借用語で表現することまでを批判しているわけではないことに注意するクマ。

解答作成上のツボを押さえよう

カタカナ語が多用される要因や背景を自分なりの視点で考察しよう。例えば、次のような点を押さえておくクマ。

  • カタカナ語には、欧米の文化への憧れから、かっこいい、洗練されている、専門的などのイメージがある。
  • グローバル化により外国から多くのものや概念が大量に入ってくるようになったため、かつてのように日本語で翻訳語をつくり多くの人が理解する時間的余裕がなくなった。
  • カタカナ語の多くはファッション感覚でとらえられ、言葉の本質的な意味は理解していないにもかかわらず、わかったような気になって使われがちである。
自分の意見をまとめよう

カタカナ語の功罪を踏まえた上で、自分の意見をまとめよう。例えば、次のような点が挙げられる。

<利点>
  • 海外から新しく入ってくるモノや概念を簡単に表せて便利である。
  • 日本語にはない概念の語に翻訳語を作ることで生じる誤解を、避けることができる。
<問題点>
  • カタカナ語は、漢字表記に比べて意味を推測するのが難しく、一般の人にはわかりにくいものが多い。そのため、新しいカタカナ語が大量に入ってくることでコミュニケーションに支障が出る。特に、若者が使用することが多く、異世代間のコミュニケーションを阻害する可能性も高い。

解答例は、「カタカナ語はわかりにくく、円滑なコミュニケーションを妨げる。安易に外国語をカタカナにして取り入れるのではなく、できるだけ日本語に変換するという努力をするべきである。」という主張である。

自分の意見が決まったら、自分の主張に対する反対意見を考慮し、具体的な根拠を挙げて反論するとよい。また、適切な具体例を挙げて、抽象的になりすぎないように工夫するクマ。

違う視点で解答をまとめる場合は

カタカナ語のわかりにくさを考えると、無制限にカタカナ語を使用すればよいという論に説得力を持たせるのは難しいであろう。しかし、グローバル化や高度情報化が進む現代では、外国から急速かつ大量に入ってくる言葉を制限することは不可能である。さらに、もともと日本語に概念のない言葉などは、日本語に翻訳するのは難しい。こうした点を指摘し、日本語に変換するのが難しい語についてはカタカナ語の増加もやむを得ないという論が考えられるクマ。

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解答例

私たちの身のまわりには、カタカナ語があふれている。その中には、日本語で表現できるものをカタカナ語によって表現しているだけのものも多い。筆者の指摘しているとおり、「誰にも即座にわかる話を、わざわざカタカナ語を多用してわかりにくく」しているのである。先日も、政治家がテレビ番組で「政策のプライオリティーについての、アカウンタビリティーを果たす責任がある」と発言していた。「政策の優先順位について、国民に説明する責任がある」と言えば、よくわかる。悪意はないのかもしれないが、何かごまかされているような気がしてならない。

カタカナ語は、円滑なコミュニケーションの妨げにもなっている。新しく入ってくる大量のカタカナ語は、一般の人にはなじみのないことが多い。また、カタカナ語は漢字に比べて意味を推測することが難しい。

カタカナ語が多用される背景には、外国から入ってくるものをもてはやす日本の風潮が挙げられるであろう。特に、欧米の文化への憧れから、英語やフランス語などに由来するカタカナ語はおしゃれな響きがしたり、専門的で新しいと感じられたりする傾向がある。例えば、「運動選手」より「アスリート」、「共同制作」より「コラボレーション」の方が格好よく感じられるという人は多いだろう。しかし、言葉が表面的に感覚で選ばれ、本質的な意味を理解しないまま使われていることは、問題である。

私たちは、安易に外国語をカタカナにして取り入れるのではなく、できるだけ日本語に変換するという努力をするべきである。もともと日本語にない概念の語を表現するのは難しいかもしれないが、過去にも「民主主義」「社会」などのすばらしい翻訳例がある。外国語を深く理解した上で日本語に変換することで、より日本語が豊かになると考える。

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